横浜情報サイト「東京のベッドタウン・横浜」の中華街

 

横浜の中にある中国

幕末、神奈川港がペリーによって開港されると、様々な外国人が入って来て横浜に住むようになりました。その中には中国の外国商館もあり、中国人が住んでいました。中国の貿易商や商人などが多く横浜にやってくると、商館の近くに関帝廟を建てました。関帝廟とは、三国志の英雄である関羽を祀ったもので、中国では商売繁盛、商人の神様として広く知られているものです。さらにここに、中華学校や中華会館などを建てるようになり、これが中華街の原型となっています。しかしこのころはまだ特に、特に中国人が多く住んでいるというほどでもありませんでした。中国人が多くなり、中華街として形成されてきたのは、大正12年の関東大震災の後です。関東大震災より横浜も壊滅的な打撃を受け、欧米人などは国へ帰ってしまった中、中国人が多くこの地域残ったために、徐々に中国人向けの街になってきました。自然このあたりで営業する中国料理の店も多くなり、昭和30年に正式に中華街という名前になりました。当然現代でも中華料理を扱ったお店が多く、中国雑貨やお土産を扱うお店も多数あります。さらにみなとみらい線ができたことにより、中華街への直通駅ができ、交通の便が良くなりました。中華街では、表で肉まんやお餅などの食べ歩きできるもの売っているほか、フカヒレなどの高級食材を扱っているお店もあります。まさに日本の中の中国という雰囲気です。